何年か前に『美魔女』という言葉が流行りましたね。
確かに僕が子供だった35年前に比べて(今45歳)今の中高齢者は美しい人が多いように思います。
それは食生活の改善であったり、運動習慣や手法の一般化、メイクやヘアスタイルに至るまで美への追及の結果なのでしょう。
そのように年を経ても綺麗で若々しく健康でいようとするのはとても素敵なことなのですが、普段クライアントと接していて少し気になることもあります。
例えば『アンチエイジング』という言葉がありますが、直訳すると『加齢に抵抗する』という意味になります・・・。
なんか年を取ることが悪いように聞こえますね。
確かに加齢とともに体力は徐々に落ちていき体脂肪も付きやすくなりますが、本来人間の『美』とはその年齢に応じた美しさがあって然るべきです。食べ物の好みも変わればふさわしい運動も変わってきます。
それに合わせてうまくアジャストしていく好奇心や行動がその人の美しさを高めていくのではないでしょうか?
テレビで鶏ガラのような足を見せている芸能人を見て、称賛している外野がいますが本当でしょうか?僕は綺麗というよりはその裏にある過酷な節制が見えてしまい痛々しさを感じる事があります。
そもそも本来の美しい身体とは人により違うものです。
元々体脂肪が付きやすい人はぽっちゃり美人を目指せばいいし、細身の人は筋肉も付いたスレンダー美人を目指せばよいのです。
画一的に『美』を定義することなどできないはずです。
美しく健康な身体は物のように売り買い出来る単純なものではないのです。
60歳の方が30歳に見えたらかえっておかしいですよね。
年を取るということは素晴らしいことだと思います。
おそらく昨今の『美魔女』ブームも元々はそのような所から始まったのでしょうが、いつの間にか『若く見える=正義』、『細い=正義』という図が創り出されてしまったように思えます。
この記事を書いているのは2020年6月6日ですが、世の中は急速に『外から内』、『組織から個人』へと向いています。オンライン、デジタル化は加速度的に進み必要な情報は一瞬で手に入り拡散します。またそれが善なる事であると認識され始めました。
人からどう見られているかは誰しも気になるところですが、対面であろうがモニター越しであろうが個人は丸見えなのです。ごまかしは効きません。そしてそのような世界においては周りとの同調よりも個人の強みはより発揮します。
つまり見た目の美しさの背景にある個人の努力や行動力までもが既に見える化されてしまっているのです。芸能人の何気ない発言への称賛、はたまた炎上騒ぎなどは良い例です。本人が気づいていない感情や背景が周りに全て伝わっているのです。美しい事と汚い事が見える化されています(フェイクニュースに翻弄されることもありますが…)。
怖い事かもしれませんがある意味公平です。
最後はなんだか小難しいことを言ってしまいましたが、美への活動は必ず周りに伝わるし確実に評価されますよという事です。